2015年05月26日

「戦後史の正体」孫崎 享

著者は外務省OB。敗戦後の占領時代以降の日米関係の実態を暴いている。

戦後初の総選挙で勝利した鳩山一郎総裁は、組閣直前にGHQに公職追放された。代わりに首相になった吉田茂が憲法を発布し、施行を見とどけた後で辞任した。日本国憲法のもとで行われた総選挙の結果選ばれた片山哲は、左派過ぎる平野農相の解任を求められて従った結果、平野派の支持を失って総辞職に追い込まれた。片山の後を継いだ芦田均は、GHQ参謀第2部(G2)が摘発した昭和電工事件で総辞職に追い込まれた。

占領下で五大財閥が解体されたが、その目的は旧経営陣を一掃して戦前の経済人の力を弱め、経済同友会を設立してアメリカに協力する人々を経済界の中心に据えることだった。占領直後、日本人の生活水準は自らが侵略した国々の水準にとどめておく方針だったが、ソ連との冷戦で日本を防波堤として使うため、1948年に経済的自立を促す方針に変更された。マッカーサーは、日本の軍事占領を早く終わらせるべきと考えていたが、トルーマン大統領との朝鮮戦争に関する意見の衝突によって1951年に解任された。マッカーサーに代わったリッジウェイは、25万人以上の公職追放解除を行い、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介が政治的権利を回復した。

トルーマン大統領は、米軍が日本国内に駐留することを対日講和の条件とし、国務省政策顧問のダレスは「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留する権利を確保する」ことを求めた。サンフランシスコ体制は、平和条約、安保条約、行政協定(のちに地位協定)の順でできたが、旧安保条約には米軍の日本駐留の取り決めが何も書かれておらず、国会での審議や批准を必要としない政府間の協定の方に入れられた。

敗戦後11年間の外務大臣は、自主路線(重光、芦田)と追随路線(吉田、岡崎)が次々に入れ替わったが、在任期間は追随路線が圧倒した。吉田茂は、占領期・占領後を通じて外相・首相を歴任し、その政策は自民党の政策となり50年以上継続した。日本がアメリカの保護国である状況は占領時代に作られ、現在まで続いている。

東京地検特捜部は、旧日本軍が貯蔵していた資財を探し出すためにGHQが設置した隠匿退蔵物資事件特捜部を前身とする。アメリカとの間に問題を抱え、汚職事件を摘発されたのは、芦田均(在日米軍について有事駐留を主張)、田中角栄(アメリカに先駆けて中国との国交回復)、竹下登(自衛隊の軍事協力で対立)、橋本龍太郎(金融政策で対立、中国に接近)、小沢一郎(在日米軍は第七艦隊だけでよいと発言、中国に接近)。

日本に原子力発電所を作る動きが始まった1950年代は高度成長が始まる前で、安い石油が手に入る時代だった。1954年に第五福竜丸がビキニ環礁で行われた水爆実験で被爆し、原水爆実験反対の署名が3000万人に上った。アメリカ政府は友好関係に悪影響をもたらすことを懸念したため、読売新聞の正力松太郎と柴田秀利が原子力の平和利用を提案し、紙面に社告を出すなどして推進していった。

安保闘争の中心だったブント(共産主義者同盟)は、全学連で活動していた学生たちが日本共産党からけんか別れしてできた組織だった。財界は岸首相を追い落とすためにブントに資金提供した。著者は、岸の自主路線に危惧を持ったアメリカが経済同友会を通じて反政府デモの手法を使ったと考える。

田中角栄はアメリカに先駆けて中国との国交回復した。ロッキード事件は、アメリカ証券取引委員会(SEC)が送った書類が議会に護送されて発覚した。アメリカは、賄賂を受け取った人物を公表しない立場を表明したにもかかわらず、三木首相の求めに対しては資料を提供した。日本の検察はロッキード社副会長のコーチャンに対し、アメリカに嘱託して尋問を行ったが、その際に日本の制度にはない司法取引が行われた。

冷戦後、アメリカにとっての最大の脅威は日本の経済力となったため、日本をアメリカの軍事戦略に組み込み、お金を使わせることが重要な課題となった。1995年の東アジア戦略では、日本の国際的平和維持活動が活発になることを歓迎すると書き、それを促すことによって、自衛隊の海外派遣に疑問を持たなくなったころに軍事面で使おうと計画した。9.11同時多発テロを受けて、小泉政権下の2005年に「日米同盟 未来のための変革と再編」が署名され、対象とする範囲が極東から世界に拡大され、日米共通の戦略の言葉(アメリカが決定したことを日本が同意すること)が盛り込まれ、国際的安全保障環境の改善(主権を持つ他の国家に対して自由に軍事力を行使すること)を目的とした。福田康夫は、アフガニスタンへの陸上自衛隊の大規模派遣や住宅金融機関ファニーメイ社への融資を依頼された。著者は、福田首相が自衛隊の海外派遣や資金提供を引き換えに退陣したと考えている。鳩山由紀夫は普天間米軍基地の移設先を県外にすると表明したものの、外務省、防衛省の官僚たちは何もしようとしなかった。

日本がアメリカの属国のような立場にあることは、よく指摘されていることだが、政権を転覆させるほどの工作が行われてきたと知ると、相手が突出した軍事大国だけに諦めるしかないと思ってしまう。

あとがきの中で著者は、日本がどう生きていけばいいかについて2つの事例を紹介している。終戦直後、GHQの駐留経費を削減しようとして公職追放された石橋湛山は、「後に続く大臣が同じ態度をとり続ければ、GHQもいつかは反省するだろう」と言った。カナダのピアソン首相は、ベトナム北爆反対の演説をしてジョンソン大統領からつるしあげられたが、その後の歴代の首相たちはアメリカに対する毅然とものを言う伝統を持ち続け、イラク戦争への参加も拒否した。我々有権者も汚職事件の真相を知ろうとする姿勢、マスコミの批判を鵜呑みにしないよう注意する必要があるだろう。

冷戦後にアメリカからの圧力が強くなった後も、橋本龍太郎、福田康夫といった抵抗派はいたし、鳩山由紀夫は失敗したものの自主路線を模索した。しかし、現安倍政権は歴代政権の中でもアメリカべったり。しかも、集団的自衛権によって軍事協力は拡大されることになりそうだし、TPPが妥結すればアメリカの意向にさらに従わされることになるのだろう。

戦後史の正体戦後史の正体
孫崎 享 / 創元社 (2012-07-24)
タグ:政治 日本史
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