2016年09月27日

『日本の土』山野井徹

クロボク土の正体を明らかにすることがこの本のテーマだが、土壌の形成過程から丁寧に説明しているのでわかりやすいし、様々な観点から考察していく様は謎解きをするようでおもしろい。土の正体を解明することによって過去の生活を垣間見ることができるとは驚きであった。

土壌は、岩石が風化して粒子となったものが集まって母材となり、ここに有機物の分解や集積、無機物の溶脱や集積が進行して形成される。土壌の形成過程は気象条件が支配的で、森林の多い日本では褐色森林土が55%を占め、クロボク土と沖積土がそれぞれ17%で続く。クロボク土は里山に普通に見られる。

陸域では、急傾斜地の重力による落下や降雨による運搬のほか、強風により舞い上がった風成塵による移動がある。塵が1年に0.1mm積もるとすれば、1000年で10cm、1万年で1mになる。著者は、褐色森林土からイメージするローム層は火山灰ではなく、風成堆積物が本質であると強調する。

クロボク土に含まれる腐植を放射性炭素で年代測定すると、形成開始時期は完新世であることがわかる。縄文土器は黒土、旧石器は赤土から出てくる。クロボク土は下位のローム質層と母材の岩質が同じで、腐植を捕らえた単子葉植物の燃焼炭が含まれるという違いがある。山形県小国町では、春に山菜を採るために山焼きが行われている。山焼きの後、しばらくするとワラビやゼンマイが芽吹いて成長する。火入れが繰り返されるとススキやササなどが優先する草原になる。このことから、クロボク土は縄文人が野焼き・山焼きを続けてきたことを意味すると結論付けている。

日本の土: 地質学が明かす黒土と縄文文化日本の土: 地質学が明かす黒土と縄文文化
山野井 徹 / 築地書館 (2015-02-27)
タグ:地学 環境史
2016年09月09日

『多数決を疑う』坂井豊貴 岩波新書

これはおもしろかった。選挙などの社会や組織の意思をどのように決定するかがテーマ。少数意見が反映されない問題を論じているものかと予想していたが、ペア敗者・ペア勝者、二項独立性などといった様々な観点があるという奥の深い内容だった。

他のすべての候補に対して優る「ペア勝者」を選択できる方法がベストのように思うが、それを満たすのは数理統計学を用いる方法しかないらしい。著者も指摘している通り、多くの人にとって理解しにくい方法は民主主義にはふさわしくないだろう。また、アメリカ大統領選挙のような有力2候補の対決に、第3の候補が影響を及ぼさない方法はないというのも残念だ。結論として、著者は等差のスコアリングであるボルダルールを勧めているが、実際にはほとんどの国の選挙では多数決が用いられていることを踏まえ、投票用紙の設計や開票・集計方法、経済性などの具体的な手続きを考慮した実現性まで踏み込んでもらえると、より面白かったと思う。

多数決:他のすべての候補に対して負けるペア敗者が選ばれることがある。
ボルダルール:等差のスコアリングの場合は、ペア敗者が選ばれることはない。ペア勝者が最下位になることもない。スロヴェニアの少数民族代表選挙、キリバス大統領候補の選出で用いられている。ナウルの国会議員選挙のスコアリングは等差ではない(ダウダールルール)。
コンドルセ・ヤング法:最尤法によってペア勝者を選ぶ。
決選投票付き多数決:ペア敗者が選ばれることはない。
繰り返し最下位消去法:ペア敗者が選ばれることはない。オリンピック開催地の選定で用いられている。
チャレンジ型多数決:ペア勝者を選ぶが、多数決の順番があるので中立ではない。

オストロゴルスキーのパラドックス:政策ごとの民意と支持政党の民意は正反対の結果を生み出すことがある。
アローの不可能性定理:2つの候補の結果に、他のいかなる候補が影響を与えない(二項独立性)ことを求めるのは不可能。
64%多数決ルール:単峰制の候補を選択する場合、63.2%以上の賛成を得れば他の候補とのサイクルは発生しない。日本国憲法の改正ルールについては、国会議員の構成が民意を反映していないため、3分の2ルールは十分ではない。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か多数決を疑う――社会的選択理論とは何か
坂井 豊貴 / 岩波書店 (2015-04-22)
2016年08月17日

『(日本人)』橘玲

前半は日本人論。武士道や和の精神は日本人に特有なものではなく、日本は最も世俗的な社会であるとの分析には目から鱗が落ちる。後半は民主制などの社会制度やグローバリゼーションがテーマ。

世界価値観調査の中で、日本人が他の国々と大きく異なっている項目は、「進んで国のために戦う」(15%、先進国で最低)、「自分の国の国民であることに誇りを持つ」(57%、香港に次いで2番目に低い)、「権威や権力は尊重されるべき」(3%、最低)の3つ。

私たちの周りには、家族や友人などの政治空間と、他人の貨幣空間があるが、それぞれにはジェイン・ジェイコブズが統治の倫理と市場の倫理と名付けた別の論理が働いている。武士道は統治の倫理の一典型であり、日本の特殊な価値観ではない。市場の倫理は遺伝子にプログラムされたものではなく、都市文明が興って交易が始まってから5000年くらいの歴史しかない。武士道が持ち出されるのは、貨幣空間の拡大に対して、政治空間の論理で対抗しようとする現象。

農耕社会は土地に縛られ、隣人関係も変わらないことから、妥協による全員一致によってものごとを決める。和を尊ぶのは日本人に限らず、農耕社会に共通する。各自の社会的役割を固定するのが合理的なため身分制が成立し、それを維持するための掟やタブーを持っている。一方、遊牧社会では、家族を連れて出ていくことができる。

ニスベットは、西洋人は世界を名詞の集合と考え、東洋人は動詞で把握するという仮説を提示している。西洋人は分類学的規則を、東洋人は家族的類似性を見つける傾向がある。

イングルハートは、世界各地で大規模なアンケート調査を行い、文化的な価値観は社会的・経済的な要因に規定され、伝統的対世俗・合理的軸と、生存価値(産業社会)対自己表現価値(ポスト産業社会)軸によって、世界の国々をそれぞれの文化圏(地域、宗教、言語)で分けることができることを示した。日本社会は最も世俗的・合理的となっている。山本七平は、日本社会が空気(世間)と水(世俗)でできていると論じた(「空気」の研究)。日本人は地縁や血縁が薄く、たまたま出会った場所で共同体をつくる(学校、会社、ママ友)。

古代ギリシアはグローバルな交易社会で、去る自由が保障されていたため、多数決による政治が成り立った。古代社会では、民族ごとに固有の神と神話を持っていた。大国の神に対抗するために少数民族のユダヤ人が考えたのが、すべてのローカルな神を超越する絶対神で、キリスト教は神の権威にあわせて教義を書き換えた。仏教は法治によって、儒教は人治によって身分や民族の壁を乗り越えようとしたが、ローカルな神と一体化して各地で宗教化するにとどまった。大航海時代のグローバル化によって力を蓄えた貴族や商工業者が国王と対立するようになり、啓蒙思想を人間社会にも適用して導かれたものが、ルソーの平等とジョン・ロックの私的所有権(自由)だった。貴族やブルジョワは古代ギリシアからデモクラシーを持ち出して立憲君主制に移行し、フランス革命で誕生した国民国家は数十年でヨーロッパに広がった。商業的な自由を求めるブルジョワの価値観がリベラルで、経済的な平等を要求する民衆の主張がデモクラットだった。

日本では、内閣法制局の審査を通った法案しか国会に提出できないため、官僚が事実上の立法権を有している。官僚は法令のデータベースを独占しているため、法令の解釈、事実上の司法権を有している。予算は各省庁の要望を財務省主計局が総合調整するから、予算の編成権も持っている。さらに、法によらない通達によって規制の網をかけ、許認可で規制に穴を開けることによって業界に影響力を及ぼしている。アメリカやイギリスでは、後法は前法を破る、特別法は一般法に優先するという概念の下に、法令間の矛盾を気にせず法律をつくり、最終的には裁判の判例の蓄積で矛盾を解決している。小沢は、内閣法制局を廃止し、官僚の恣意的な法令解釈を排除し、予算の総合調整を国家戦略局か内閣予算局に移行することを目指したが、実現することができなかった。

戦後日本の高度成長は、岸信介などの「改革官僚」によって実行された1940年体制の下、生産を優先して競争を否定する奇妙な資本主義の下で達成された。1980年代に注目された韓国、台湾、シンガポールは、権威的な政治体制の下で、日本によく似た統制経済が行われていた。マハティールはルックイーストを唱え、?小平は日本の経済成長を徹底的に研究した。一方、自由主義的な経済政策の成功例はチリくらいしかないが、失業率の増大や経済格差の拡大を招いた。アルゼンチンは財政破たんした。新興国のキャッチアップ期には、統制経済の方が有効であることが否定できなくなっているが、日本はその後の長い停滞を招いている。日本はオイルショックの後、賃金の上昇によって国際競争力を失った産業に価格カルテルを結ばせて国内価格を吊り上げ、輸入を制限して、輸出には補助金をつける保護政策を行った。しかし、企業に既得権を与えて競争力を弱め、割高な原材料費では国際的な競争ができない製造業が海外に移転する結果を招いた。消費者に価格を転嫁する政策は物価の内外価格差を招き、その後の長期のデフレはこれが解消される過程でもあった。1940年体制が残っているのは、経営(投資、経営者)と労働(年功序列、終身雇用)で、解雇が容易な非正規雇用の拡大という問題も招いている。

ロバート・ノージックは、国家は共同体としては大きすぎるという。多様な価値観を持つ国民を収めようとするのは無理で、抵抗する人たちが排除される。国家は単なるフレームワークであるべきで、基本的人権や私的所有権の保護などの基本ルール(憲法)と、外交や治安維持のような最低限の安全保障でつくられ、この枠組みの中で人々は共同体を自由に作ることができる(「アナーキー・国家・ユートピア」)。

(日本人)(日本人)
橘 玲 / 幻冬舎 (2012-05-11)
タグ:政治 社会