2018年04月19日

『社会はなぜ左と右にわかれるのか』ジョナサン・ハイト

書名の通り政治思想が中心のテーマだが、内容は認知心理学に始まり、協力・社会集団の進化、宗教にも及ぶ。正直に言って前半は退屈だったが、後半はがぜん興味深く読んだ。

社会保守主義者が志向するエミール・デュルケーム流の社会観は、基本単位は個人より家族で、秩序、上下関係、伝統が重視される。それに対して、リベラルが擁護するジョン・スチュアート・ミル流の個人主義的な社会観は、多数者を統一体に結びつけることは困難であると考える。

すべての動物の脳に備わっているスイッチのようなものであるモジュールの概念を用いて、社会生活において道徳の基盤となる普遍的な認知モジュールを特定した。

6つの道徳基盤
ケア/危害
公正/欺瞞
忠誠/背信
権威/転覆
神聖/堕落
自由/抑圧

YourMorals.orgの道徳基盤質問票によって13万人以上を対象にしたデータによると、ケアと公正はリベラルの方が保守主義者より高く、忠誠、権威、神聖は低い。リベラルはケアと公正を他の基盤よりはるかに重視し、保守主義者は5つの基盤をほぼ等しく扱う。リベラルは、貧者に対する思いやりと、政治的な平等の追及を重視する。

公正さについては、左派は平等ととらえるが、右派は各人の貢献度に応じた比例配分として考える。自由についても、リベラルは弱者の権利に強い関心を抱き、政府による保護を期待するが、保守主義者は政府などの強者から干渉されない権利としてとらえる。

雑食動物は、新たな食料源を見つけることができる点で優位性を持つが、安全性に注意を払って探さなければならない(雑食動物のジレンマ:ポール・ロジンの造語)。リベラルはネオフィリア(新奇好み)の度合いが高いが、保守主義者はネオフォビア(新奇恐怖)の度合いが高く、境界や伝統の順守に大きな関心を持つ。脅威や恐怖に対する脳の反応は、神経伝達物質のグルタミン酸とセロトニンの機能に関わり、新たな経験や感覚を求める意欲はドーパミンとの関係が高い。どちらも遺伝子の違いに起因し、子どもの頃から老年に至るまであまり変わらない。

人間は、近隣の個体同士の闘争を通して心が形成されたという意味でチンパンジーであり、集団間の情け容赦ない闘争を通じて心が形成されたという意味でミツバチでもある。私たちは、社会生活というゲームの長い系譜をたどり、集団を形成する能力を行使して協力し、他集団を出し抜いてきた人類の末裔である。無条件に集団に従うわけではなく、条件が満たされた時に集団のために働くモードに心を切り替えられるようになった。デュルケームは、共同体における日常の中で個人を仲間と結びつける感情と、社会同士の関係で発現し、自己を社会全体に結びつける感情の2つの社会感情を備えていると結論付けている。ミツバチスイッチは、足並みを揃えた行進、音楽、合唱、説教の聴講、政治集会への参加、瞑想などによってオンになる。集団における協力関係を促す仕組みとして、オキシトシン分泌システムが進化したことが考えられ、ミラーニューロンももうひとつの候補になっている。

宗教の信念と実践の役割は、最終的には共同体の形成にあるとみなす研究者も多い。動物は、あるものを見損なう偽陰性より、模様の中に人の顔を見出すような、ないものをあると誤認する偽陽性の誤作動を起こす傾向がある。正確さよりも、生存の可能性を高くするように調節されている。自然現象や幸運、不幸を他の行為者によって引き起こされたとみなすことによって、超自然の行為者が誕生し、神殿が築かれた。民族神話に登場する妖精や悪魔などは、行為者の存在を見出そうとする様々な観念の中から、長い時間をかけて改良され選び抜かれてきたもの(デネット)。宗教は、より結束力と協調性の高い集団を形成するに至った一連の文化的革新によって生まれたもので、主に集団間の競争によって拍車がかけられた。神の効用は、道徳協同体の構築にあり、農耕が始まって集団が大規模になると、神々ははるかに道徳主義的になった(Attran and Henrich, 2010)。宗教が集団の結束を強め、ただ乗りの問題を解決し、他集団との生存競争に勝利するために役立つという証拠は数多く見つかっている。

ジョン・スチュアート・ミルは、「健全な政治を行うためには、秩序や安定性を標榜する政党と、進歩や改革を説く政党の両方が必要だ」と述べている(自由論)。ラッセルは、「紀元前600年から現在に至るまで、哲学者は、社会的な絆を強化したいと考えるものと、緩めたいと考えるものの二派に分かれてきた」と述べている(西洋哲学史)。

<考察>
リベラルはネオフィリアの度合いが高く、保守主義者はネオフォビアの度合いが高いとの記述で連想したのは、アリの行動だ。見つかった餌に向けて多くのアリが隊列をなしている時にも、それに従わないアリが一定程度いることが知られている。そんなアリが存在するのは、様々な状況に対応可能な余力が必要なためと考えられている。現実派と未来派と読みかえることもできるだろうが、どちらも社会に必要なのだ。日本では集団行動を良しとする傾向が強いが、独自路線を進む者は新しいものを社会に提供する役割を担っている。

公平や自由の捉え方については、ネットワーク理論の議論を考慮することが必要と思う。一般に、大きいものはより大きくなりやすいことから、完全に自由な環境においては貢献度と結果は比例しなくなる。累進課税による再配分のような社会のシステムは、貢献度と結果を比例に近づけるための妥協策として許容されるだろうし、また、貧困による犯罪を防止するためにも、社会全体へのメリットはあるだろう。

デュルケーム流の社会観は、家族のあり方を社会全体に拡大してあてはめようとする点で、トッドの家族社会学の見方と類似しており、興味深い。ただし、ミルの主張によれば、家族のあり方をそのまま社会に適用することが好ましいことなのかについては議論がありそうだ。

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
ジョナサン・ハイト / 紀伊國屋書店 (2014-04-24)
2018年03月23日

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』矢部宏治 講談社現代新書

内容は米軍基地や米軍人に対する裁判権を含む日米間の軍事関係。文体は軽く、前半はすらすら読める。後半は核心に迫るほど重くなっていくが、解き明かしていくカラクリは筋が通っている。

日本国憲法は、国連憲章との強い関連の中から生まれた。まだ太平洋戦争が始まっていない1941年8月、ルーズベルトとチャーチルは、アメリカが対日戦争に参戦することを前提として、英米が理想とする戦後世界の形を宣言した二ヵ国協定の大西洋憲章を結んだ。大西洋憲章の第8項には、武力使用の放棄、侵略的脅威を与える国に対する武装解除が書かれていた。1942年1月には、ソ連と中国を含めた26か国の連合国共同宣言を成立させ、第二次世界大戦を戦う体制を整えた。連合国の勝利が確実になった1944年10月には、米・英・ソ・中の4か国でダンバート・オークス提案をつくり、世界の安全保障は国連軍を中心に行い、米英ソ中の4大国以外の国は交戦権は持たないという原則が定められた。これをもとに、1945年4〜6月のサンフランシスコの会議で国連憲章がつくられた。1946年2月のロンドンで国連軍創設のための五大国の会議が始まった日に、マッカーサーが示した日本国憲法草案執筆のための3原則の中には、「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる」と書かれていた。日本国憲法の草案は誰がどのように書いたかまでわかっており、日本人が条文を書いた話は一切出てこない。

朝鮮戦争勃発時に日本を訪問中だった国務省顧問のジョン・フォスター・ダレスは、日本に全面的な戦争協力を約束させることを引き換えに、日本の独立に賛成することを軍部に説得し、日本のどこにでも必要な期間、軍隊をおくことを条件とした平和条約をつくることになった。ポツダム宣言には占領軍はただちに徹底すると書かれていたが、国連憲章第48条で定められた国連軍が編成されなかったため、暫定的に五大国が代わりに行うと書かれた同第106条を使って、国連の代表国であるアメリカとの間に安保条約を結ぶことによって米軍基地を置くことにした。

基地権や裁判権の密約のほかに、自衛隊は米軍の指揮の下で戦うという指揮権密約がある(古関彰一が1981年に朝日ジャーナルで発表)。1950年6月に始まった朝鮮戦争で、日本は様々な協力を求められていたことから、1951年1月に始まった独立交渉の中で、日本が米軍への軍事支援を継続する吉田・アチソン交換公文という条約を結んだ。占領終結直後に、日本の軍隊が米軍の指揮下に入って戦うことを米軍司令官から要請され、吉田茂首相が了承して密約が成立した。

占領下の在日米軍の法的地位を変えることなく、日本の独立後も軍事面では占領体制を継続するための政治的装置として、日米合同委員会が1952年に発足した。現在も月に2回ほど密室で行われ、国会に報告する義務はなく、議事録も公開されない。本会議と30以上の分科会で構成され、日本側の代表は外務省北米局長で、他のメンバーは各省のエリート官僚だが、アメリカ側の代表は在日米軍司令部副司令官で、他のメンバーは1人を除いてすべて軍人。最終決定権は米軍側(太平洋軍司令官)が握っている。日本側のメンバーは最高ポストの官僚たちで構成されているため、官僚は裏切ることはできない。さらに、法務省の大臣官房長は、その後、検事総長に就任することが多いため、影響力は司法にも及ぶことになる。鳩山由紀夫首相は、普天間基地の移設問題について協力を求めるために、外務省と防衛相から幹部を2人ずつ呼んで秘密の会合をもったが、翌日の朝日新聞でリークされた。首相すら官僚に裏切られる権力構造になっている。アメリカ側の軍人でない唯一のメンバーである在日米大使館の公使も、過去に何度も日米合同委員会を批判している。

米軍の特権についての条文が変更されると、その裏には日米合同委員会などで結ばれた密約が存在し、米軍の権利が損なわれることはなかった。占領終結時に発効した行政協定は、1960年の安保改定で地位協定に変更されたが、その裏側では「基地の問題についての実質的な変更はしない」という密約が結ばれていた。この米軍に対する治外法権を与えるために、最高裁、検察、外務省はそれぞれ裏マニュアルをつくっている。

アメリカとの間で米軍を国内およびその周辺の配備する権利を与える条約を結んでいるのは、日本のほかに韓国と台湾だけ。1979年に米中の国交が樹立した際に、台湾との国交は断絶して条約は失効した。日本と韓国がアメリカの軍事的支配下にあることが、アジアに冷戦構造が残っている最大の原因。著者は、突出した軍事力を維持し続け、国連憲章を無視した他国への軍事介入を繰り返しているのはアメリカだけであり、かつての敵であるロシアや中国の方がよほど自制的に振る舞っていると評する。

アメリカの海兵隊がアフガニスタンで使用した12種類の航空機の中で、オスプレイは全体の平均の41倍の事故率を記録している。普天間基地に配備されたオスプレイは、日本全国の6つのルートで低空飛行訓練を行っている。沖縄の北部訓練場の返還の見返りに高江周辺に移設されることになるヘリパッドは、高江の住民や家屋を標的に見立てた軍事訓練を行うためにつくられた。ベトナム戦争時代には、高江の住民がベトナム人の格好をさせられて軍事演習を行うベトナム村がつくられていた。

アメリカが集団的自衛権に基づく安全保障条約を結んでいるのは米州機構とNATOだけで、それ以外は個別的自衛権に基づいて協力しあう関係でしかない。日本が集団的自衛権を行使できるようになっても、アメリカと互いに血を流して守りあう関係になることはない。現在の日米関係では、憲法解釈を変えて海外へ派兵できるようになれば、米軍の司令官の下で従属的に使われるようになるだけ。

著者は、現在の日米関係は朝鮮戦争の混乱の中でできた不平等条約と結論付ける。基地権、裁判権は明らかに不平等だし、密約は法を逸脱している。官僚と軍人が行う日米合同委員会はいびつで権力構造を歪めている。基地周辺の住民は、この構造の犠牲にされているのだ。他国への軍事介入を繰り返すアメリカに追随し続けるのも、国際社会の一員として好ましくない。著者は、きちんとした政権をつくって、日本国内の既得権益層(安保村の面々)を退場させ、アメリカに対して改正することを交渉すればいいと主張する。

アメリカは、国際法の名のもとに、自分たちに都合のいい取り決めや政策を相手国にどこまで強要できるかを議論しながら政策を決めていると、著者は評する。確かに、大西洋憲章から日本国憲法へと至る流れは見事だし、在日米軍を置くために国連憲章を用いる論理も狡猾ながらあっぱれだ。ただ、根にあるのは、自立するよりも、大国にすがって生きていこうとする日本人の性格と、その歴史で固められた国内体制にあるように思う。アメリカはそれをいいように利用しているのが実態なのだろう。それでも、高校生の教科書として使って欲しいと思うほどの、わかりやすく整理された内容だった。

知ってはいけない 隠された日本支配の構造知ってはいけない 隠された日本支配の構造
矢部 宏治 / 講談社 (2017-08-17)
2018年02月10日

『日本会議 戦前回帰への情念』山崎雅弘 集英社新書

政治的思想や価値観を根本的に考え直させられる団体も、その歴史を学べば目的が理解できる。

日本会議は、日本を守る会と日本を守る国民会議が統合する形で1997年に誕生した。最も重点を置く運動目標は憲法改正。

敗戦後、国家神道を日本の民主化の障害と考えたGHQは、神道指令を日本政府に送り、神道系施設や団体への資金的・人材的サポートを停止することを命じた。神社を統括していた神祇院が廃止されると、神祇院から国費補助を受けていた法人など三団体が合同して神社本庁を設立した。神道指令の内容は、信教の自由、集会・結社・言論・出版の自由、国民主権、基本的人権の尊重といった形で間接的に日本国憲法に盛り込まれて恒久化された。神社本庁は、占領軍によって一方的に押しつけられたと理解する日本国憲法の破棄と、国家神道的価値観への回帰を盛り込んだ自主憲法の制定を重視した運動を展開した。

1930年に創設された生長の家は、天皇中心の世界観と宇宙や霊魂についての独自の考えを融合した思想を流布した。戦後のサンフランシスコ講和条約が調印されると、日本国憲法の破棄と明治憲法への回帰を主張し、政治団体を設立した。生長の家の教えに心酔した椛島有三らは、大学で左派学生と戦う学生運動を進めた後、その運動を一般社会人に広げて、1970年に日本青年協議会を設立した。日本青年協議会は、1979年に法案が成立した元号法制化運動で存在感を示し、この過程で結成された元号法制化実現国民会議は1981年に日本を守る国民会議に発展し、日本青年協議会は事務局を取り仕切ることになった。

東西冷戦期の日本でも、あらゆる宗教の価値を否定し、国ごとの固有文化を尊重する考えのない共産主義に共鳴する市民が少なからず存在していた。共産主義が広がることを懸念した宗教家や保守的な政治運動家は、1974年に日本を守る会を創設した。

私は、歴史に学ぼうとしない態度は、人間としての誠実さや責任感に欠けると思う。そもそも、歴史に学んで少しずつ修正することが本来の「保守」のはず。宗教も神道も否定する気持ちは全くないが、全体主義を生んだ国家神道はまっぴら御免だ。

日本会議 戦前回帰への情念日本会議 戦前回帰への情念
山崎 雅弘 / 集英社 (2016-07-15)
タグ:政治