2016年06月17日

『「読まなくてもいい本」の読書案内』橘玲

著者が「知のパラダイム転換が起きた」とする4分野(複雑系・進化論・ゲーム理論・脳科学)と功利主義に絞って読書案内をする。各分野についての解説もその歴史を追う形で読みやすくまとめられている。

複雑系については、マンデルブロを軸にその歴史を追っている。マンデルブロがプリンストン高等研究所の博士研究員となった時、ノイマン、オッペンハイマー、アインシュタイン、ゲーデルなどの知性が集まっており、のちに「この時(の経験)を超えることがなかった」と回想している。マンデルブロは「複雑系」という言葉は使わず、「ラフネス」や「フラクタル」を使った。複雑系を研究する数学・物理学であるカオス理論は、エドワード・ローレンツがコンピュータによる天候のシミュレーションから発見したバタフライ効果に始まり、それは臨界状態と相転移で説明される。

ゲーム理論が生まれた時代背景には、米ソが核兵器で対峙した冷戦があった。ジョン・フォン・ノイマンは、ノイマン型コンピュータを開発してコンピュータの父と呼ばれるが、プリンストン高等研究所やランド研究所、ペンタゴンやマンハッタン計画などにも関わり、生きた伝説となった。「ゲームの理論と経済行動」はベストセラーとなり、死の直前まで対ソ戦の戦略を聞こうとする国防長官や米軍幹部たちに囲まれていた。ジョン・フォーブス・ナッシュは、21歳でゲーム理論の金字塔となった論文を発表した(ナッシュ均衡)。30代で統合失調症を発症し、長い闘病生活を送ったが、60代になって奇跡的に回復したことでも有名になった(「ビューティフル・マインド」)。ゲーム理論は古今東西の戦略書を片っ端から分析できることを示し、戦争や競争の戦略については強力な説明能力を持ち、生物の生態も説明できることもわかった。しかし、経済学においては、すべての情報を入手して合理的に行動する前提が当てはまらない。ダニエル・カーネマンは、人にはファスト思考とスロー思考(直感と理性)があり、負荷が低いファスト思考に頼りがちであることを明らかにした(「ファスト&スロー」)。限定合理的な人間をモデルにした行動ゲーム理論では、ゲームを繰り返すことによって学習し、ひとつの均衡に収斂していくことが示されている(ロジット均衡)。しかし、市場や社会は複雑系だから、個々のゲームから全体を理解することはできない。これに解決を導くツールとして、統計学やビッグデータが活用されている。

進化論では、相手の内面を読解する能力が長けていることが有利であることから、相手の気持ちを映す鏡を自分の中に持つようになり、自分という意識を生み出した(ニコラス・ハンフリー「内なる目」)。

最終章では、社会をよいものにするための功利主義が取り上げられる。フランス革命後、右翼を王党派で共同体主義の保守派が、左翼を共和派が占め、共和派は自由を求めるリベラルと、平等を重視するデモクラットがいた。その後、経済格差を悪として徴税や再分配で結果を平等にする立場がリベラルと呼ばれるようになり、本来の自由主義者はリバタリアンを名乗るようになった。市場は複雑系なので、ネットワークのハブに多くの資源が集まり、富は集中して格差は拡大する。功利主義は、最大多数の最大幸福の原理としてジェレミ・ベンサムが提唱した。ジョン・ロールズは、人はリスク回避を好むのだから、自分が不利な状態で生まれてくるリスクを想定して、その利益が最大になるようなルールを人は好むはずだと考えた(「正義論」)。アマルティア・センは、機能と潜在能力(なし得ることとなり得ること)の最大化を目指すことを提言した(「人間の安全保障」)。マーケットデザインは、市場の機能が使えないときにゲームを上手にデザインする技術で、誰にも不利益を与えずに幸福を追求するのはよい(パレート効率性)、抜け駆けによる利益がないこと(個人合理性)を「コア」として重視する。ウソを申告するなどの戦略によって利益を得ることができないこと(耐戦略性)を満たしたコアを実現することはできないことが数学的に証明されているが、戦略によって市場全体の配分を変えるのは難しい。

著者がこの本で取り上げた分野の位置づけが237ページの図で表されている。進化論が土台にあり、神経レベルの遺伝学や脳科学と意識レベルの進化心理学、個人レベルの行動ゲーム理論や行動経済学と社会・経済レベルの統計学やビッグデータが、それぞれミクロとマクロの関係で位置づけられ、どちらも複雑系の理解が役立つというイメージだ。これらの分野以外を読書リストから除外するかどうかは各個人の判断だろうが、取り上げられた分野の概要紹介とブックガイドとしては、とても刺激的で、久しぶりにワクワクする本を読んだという読後感だった。

著者が紹介している本の一部は、橘玲紹介に掲載されている。

「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する
橘 玲 / 筑摩書房 (2015-11-26)
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