地政学など最も関心の遠い分野だったが、ロシアのウクライナ侵攻を受けて読んだ。歴史的経緯を踏まえて説明されているので、わかりやすい。
地政学は帝国主義の論理で、国家と国家が国益をかけて衝突するとき、地理的条件がどのように影響するかを論ずる。
日本が日清戦争に勝利すると、東洋と西洋の文明の衝突を予見したマハンの進言を受けて、セオドア・ルーズベルトはハワイを併合し、フィリピン、グアムを領有するスペインとの戦争を起こし、パナマ運河を建設した。
韓国には深刻な地域対立がある。朴正煕、全斗煥、盧泰愚の軍人大統領は、古代の新羅王国の地域である慶尚道の出身。金大中などの民主化運動家は、古代百済王国の地域である全羅道の出身で、北朝鮮に対しては太陽政策をとった。朝鮮戦争の直前に済州島で北朝鮮の支持者が蜂起すると、治安部隊によって虐殺され、多くの島民が日本に脱出した(今も大阪を中心に居住)。
インドとパキスタンが分離独立すると、アメリカはソ連の南下ルートにあるアフガニスタンと国境を接するパキスタンと同盟を結んだ。インドは中国と国境紛争を抱えるため、残った大国であるソ連と軍事同盟を結んだ。イラン革命の影響を受けて、アフガニスタンのイスラムゲリラであるムジャヒディンは、無神論の社会主義政権に対するジハードを宣言した。ソ連は、ウズベキスタンやトルクメニスタンの独立運動を懸念してアフガニスタンに侵攻したが、逆に各国の過激イスラム教徒が義勇兵としてアフガニスタンに終結する結果を招き、アルカイダも生まれた。
9世紀にノヴゴロド国を建てたノルマン人リューリクの息子イーゴリは、キエフに都を移した(キエフ王国)。キエフはビザンツ帝国に穀物やスラブ人奴隷を輸出し、工業製品を輸入した。10世紀にビザンツ帝国と同盟を結び、ギリシア正教会に改宗し、キリル文字が普及した。13世紀にモンゴル軍によってキエフが破壊された後、200年間モンゴルに支配された。その間にロシアの中心はモスクワに移り、15世紀にビザンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされたため、最後のビザンツ皇帝の姪を妃に迎えたモスクワ大公のイヴァン3世が皇帝の称号を受け継いだ。ウクライナは、領土を拡大したポーランドとロシアによって二分されたが、その後のロシアの勃興とポーランドの衰退によって全土がロシアに併合された。17世紀後半にピョートル大帝がスウェーデンを破ってバルチック艦隊を建設し、続くエカチェリーナ2世はオスマン帝国を破ってクリミア半島に黒海艦隊を建設した。19世紀後半、アレクサンドル2世はアロー戦争に乗じて清朝から沿海州を奪い、ウラジオストークに太平洋艦隊を建設した。ロシアと覇権を争うイギリスは、クリミア戦争と露土戦争でロシアのバルカン進出を阻止し、日英同盟を結んで日本にロシアを監視させた。
19世紀末にロシアやフランスでユダヤ人虐殺事件や反ユダヤ主義が起きたため、シオニズム運動が始まった。ロスチャイルド家がイギリスの戦時国債を引き受ける代わりに、パレスチナはイギリスの委任統治領となり、ユダヤの受け入れが始まった。アメリカ民主党は移民受け入れに積極的で、ユダヤの票と資金力が民主党の躍進に貢献した。これを危惧した共和党は、1924年の移民法で門を閉ざしたため、ユダヤ人はパレスチナに流れ込んだ。1930年代は、ナチスのホロコーストによって大量のユダヤ難民がパレスチナに流れ込んだ。現在のイスラエルは、約束の地からアラブ人を追放するべきと主張する右派連合のリクードと、アラブ人との共存を受け入れようとする労働党が対立する。アメリカでも、民主党の対アラブ政策を批判するユダヤ人は共和党支持に回り、閣僚や政策アドバイザーとなってイラクやアフガニスタンの戦争を主導した。
世界史で学べ! 地政学 (祥伝社黄金文庫) - 茂木誠
2022年03月10日
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