2016年05月26日

「日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】」竹村公太郎 PHP文庫

著者は建設省で主にダム・河川事業を担当した方。インフラが地形や気象に立脚し、文明を支えているという視点で論じているのが面白い。

後藤新平は岩手県水沢市に生まれ、自費でドイツに留学してコッホ研究所で博士号を取得した。台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣を務めた後、東京市長に就任し、シベリア出兵時に毒ガスとして開発された液体塩素を転用して、大正10年に水道水の塩素殺菌を始めた。これを機に、国内の乳児死亡率が劇的に減少し、平均寿命が改善することになった。後藤は大正12年に関東大震災後に帝都復興院総裁となり、東京復興計画を立案して政府に提出した。

銚子沖では黒潮と親潮がぶつかって太平洋に向かう潮流があるため、房総半島の西岸には関西からの船が上陸する港が連なっていた。家康が利根川を東遷したのは、鬼怒川と利根川の間の関宿を塞ぎ、仮想的だった伊達政宗から上総を守るためだったと考えられる。利根川の流れを銚子に変更した後も拡張工事が続けられたのは、洪水防止と乾田化だった。

1597年に家康が小泉次大夫に多摩川両岸の用水路の建設を命じて作られたのが、二ヶ領用水と六郷用水(次大夫堀、1945年廃止)。

幕末の開港後に東海・南海地震、安政江戸地震とその余震が続いたこと、山がちの地形が欧米の植民地になることからまぬかれた。石狩川の流路を直線化して川底を洗堀させることによって、石狩平野の泥炭層の水を抜き、農地に転換することができた。日本には馬車や牛車がなく、荷物を自分で背負わなければならなかったため、物を小型化することが得意になった。

エジプトのピラミッドはナイル川の西岸だけにあり、山岳地帯が連続している東岸にはない。西岸に広がるリビア砂漠に水が流れ消えることを防ぐため、洪水の流速を低下させて運ばれてきた土砂を沈降させるための「からみ」だった(からみは筑後川河口の有明海の干拓でも用いられた)。ギザの3大ピラミッドは、当時のナイルデルタ河口の台地に位置しており、正四角錘で表面には大理石が張られていたことから、灯台としての役割を果たしていた。

日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】
竹村 公太郎 / PHP研究所 (2014-02-05)
タグ:日本史 国土
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