2016年02月12日

「古代インドの思想」山下博司 ちくま新書

思想・宗教の内容というより、それが生まれた自然環境や歴史的経緯を中心に解説している。モンスーン気候によって育まれた植物に囲まれ、それに馴化し同化する生き方や輪廻の考え方が生まれたこと、遊牧民族だったアーリア人が定住して農耕生活に変わる過程で、信仰の対象が天から地界へと変化し、都市の発展によって自由な思想活動から仏教やジャイナ教が生まれたとしている。

インドでは、非常に多湿な赤道西風が夏季には北上して南西モンスーンとなるが、冬季は東風帯に入って乾燥する。デカン高原の土壌は肥沃で保水力が高い。国土の55%が農地で、世界の耕作地の1割以上を占める。概ね年降水量1000?を境にして、北部で小麦、南部で稲が栽培されている。

インド人は、肥沃な土壌と豊かな植物が生育する環境の中で、それに馴化し同化する生き方を選んだ。労働や生産の倫理より分配の道徳が強調され、勤勉より気前よさが求められ、布施や喜捨が讃えられ、ものを手放す度合いで人間の価値が測られる。行為をやめること、無為が哲学的・宗教的価値を帯びた。

インダス文明に見られるインド北西部の小麦、大麦、豆類の栽培と牛、ヤギの家畜化は、9000年前まで遡ることができる。また、沐浴、女神への崇拝、動物や樹木への畏敬は、ヴェーダの時代には見られないが、後の仏教、ヒンドゥー教の時代に現れてくる。紀元前2000年頃、インダス川河口周辺の地盤が隆起したため、洪水が多発して川筋も変わった。乾燥化も急激に進行して、インダス文明の崩壊を招いたと考えられる。アーリア人の侵入は紀元前1500年頃と推定され、紀元前1900〜1800年のインダス都市文明の衰退期は年代的に異なるため、アーリア人による滅亡説は否定されている。ドラヴィダ語の南方への拡大は、紀元前一千年紀以降。

紀元前1500年頃、地球上で一斉に気温が低下し、インダス河流域は乾燥化した。中央アジアからアフガニスタンに進出していたインド・イラン人の一部が、馬や軛のついた二輪戦車をもってパンジャブ地方に侵入する。讃歌・詩節から成るリグ・ヴェーダは、紀元前1200年頃から編まれ始めた。ヴェーダの中の宗教観念や儀礼体系がバラモン教。紀元前800〜500年には、哲学的内容を持つ聖典ウパニシャドが成立し、その後のインド哲学やヒンドゥー神学に大きな影響を及ぼした。

アーリア人が進出した頃のガンジス平原は、現在よりも湿潤で、熱帯性の森林で覆われていた。こうした自然の中で、すべては循環し、歴史は繰り返す輪廻の思想が生まれてきたと鈴木は考える。紀元前1000年頃、鉄器が用いられるようになって農業生産が高まり、王侯、武士、司祭、修行者、商人、職人などが活動するようになった。農業との結びつきが強くなると、主たる関心は天界から空界・地界へと漸移し、思惟も思索や瞑想など自己の内部に向けられていった。一般に、農耕社会の方が他の社会に比べて宗教儀礼が多く、入念になることが確認されている。紀元前600年頃には、アーリア人はガンジス平原の広い地域を覆うようになり、いくつかの都市が形成されて繁栄し、商工業の活況により身分秩序も緩んでバラモンの地位やヴェーダの権威も形骸化した。自由な思想活動が展開される中で、仏教やジャイナ教が興った。ガンダーラ地方で仏像が出現したのは、紀元1世紀半ばのヘレニズム時代。

インドでは、いかなる行為もそれにふさわしい結果を生み出す因果応報の考え方があり、後期ヴェーダ時代に支配的になった。しかし、現実社会では必ずしも成り立たないため、その弱点を補強するために来世や輪廻の概念が組み込まれた。何人も行為の結果から逃れられないというカルマの法則は、行為そのものから身を引く道を選ばせる結果となった。行為と結果の連鎖を断ち切る解脱の考え方が生まれ、解脱によるハッピーエンドを効果的にするために、前段階の苦しみや哀しみが強調されるようになった。

古代インドの思想: 自然・文明・宗教古代インドの思想: 自然・文明・宗教
山下 博司 / 筑摩書房 (2014-11-05)
タグ:生態系 文化
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