2017年12月26日

『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』鹿島茂 ベスト新書

トッドの家族人類学を基に、歴史と現代社会の背景を説明しようとするもの。特に、日本の直系家族の成り立ちと、その歴史を扱った章がおもしろい。新書なので内容は深くないが、トッドの家族人類学の奥深さは十分に伝わってくる。

中国の華北地方では、春秋戦国時代に直系家族が成立していた。直系家族は横に連帯して大きくなることはないため、小邦分立となる。大勢の騎兵を動かす匈奴が襲ってくると、秦の始皇帝は、大勢が協同する遊牧民のスタイルに父親の権威性を加えた共同体家族を確立させ、直系家族原理を撲滅するために焚書坑儒を行った。

外婚制共同体家族では、強靭な権力を持っている父親が亡くなると統率がとれなくなる。アッティラ帝国、モンゴル帝国、キプチャク・ハン国などが君主の崩御から瞬く間に解体したのは、息子たちによる分割相続の伝統によるところがある。

絶対核家族のイングランドでは、親子の絆は強くなく、相続も金銭解決されるほどのため、農民と農地との関係が弱い。そのため、羊毛生産のために囲い込みが起きると農地を持たない農民は工場労働者になりやすかった。イングランドは、直系家族で教育熱心なスコットランドと同君連合を組んだことにより、絶対核家族の自由、独立、競争と直系家族の知性とが結合することにより、イギリスの偉大な18世紀を用意した。

フランスは、言語も文化も全く異なる地域の寄せ集まり。教育熱心で勤勉、忠実な直系家族地帯を抱え込み、官職売買の制度を利用することによって中央集権官僚組織を形成することができた。平等主義核家族のパリ盆地と直系家族の周辺部との対立は、今日まで引き継がれている。フランスは、脱宗教的で民主主義的な共和国であることを憲法にも明記しており、宗教や出身国籍による中間団体を認めていないため、イスラムの風習に対しても厳しい態度をとる。

直系家族が解体すると、スーパーファーザーのような存在を求めるため、ファシズム発生の背景となる。

内婚制共同体家族では親族結婚が行われるため、女性の識字率が上がり、学歴がつくと共同体から出ていくことになるので反発が強い。

男性の識字率が50%を超えると社会変革への気運が生まれる。15歳から29歳までの男性の人口に占める割合が30%を超えると、革命や騒乱の要因となる(ユース・バルジ)。女性の識字率が50%を超えると出生率が下がり、社会が近代化して安定する。直系家族や絶対核家族では、兄弟のうち一人が優遇されて財産を独り占めするため、その嫁は夫と同じくらいに地位が高くなる。平等主義核家族や外婚制共同体家族では女性の地位が低いため、出生率が高いまま人口が増加していく。

日本では、古くは双処居住型核家族だったが、11〜12世紀に農地の拡大が限界に達して分割できなくなったため、一子相続の直系家族になった。畿内で長男相続の直系家族形態が完成すると、武士も制度として取り入れ、将軍を権威の頂点とする直系家族社会が生まれた。家からはじき出されるようになった次男以下は、寺社に入って自衛のために武装する僧兵となったため、戦国時代まで寺社が勢力を増していくことになった。三重、和歌山、高知、鹿児島などの西南日本では直系家族は広がらず、双処居住型核家族の変形である末子相続が多く残った。人口は流出することなく、兄弟の序列化は強くないため横の連帯意識が強いことが、同じ志を育みあい、革命集団となって明治維新を導いた。1910年頃に出生率が最も高くなってユース・バルジが生じ、その世代が社会の中核となる1930年頃から混乱の時代を迎え(1932年に5.15事件、1936年に2.26事件)、戦争に突入していった。戦後の占領下でマッカーサーは、諸悪の根源とみなした直系家族の原理を否定して核家族の原理に変更させる政策を実行し、民法でも家督相続を廃止させた。しかし、占領が終わると、企業や官僚組織などでは直系家族的組織運営が復活した。戦後に大学に進学し、60年代の学生運動を担ったのは、直系家族の次男以下がほとんどだった。

著者は、近年の日本会議などの動きをあげて、日本は「放っておくと直系家族になる」と書いている(疑問文ではあるが)。確かに、多くの企業などの組織が直系家族的(トップダウン型)ではあるが、家族そのものは核家族化している。農業以外の労働者が大多数になり、少子化も進んでいるから、分割相続ができない家族は少なくなっているだろう。ならば、平等の概念は広がってゆき、権威主義的な考え方は萎んでいくのではないだろうか。核家族化が進行する以前に育ち、直系家族を理想と考える世代が少なくなってゆけば、核家族型の個人主義的な社会に変化していくのではないかとも思うのだが。

エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層
鹿島 茂 / ベストセラーズ (2017-05-09)
2017年12月18日

『右翼と左翼』浅羽通明 幻冬舎新書

表題の2つの用語について解説するために、概説書や入門書を資料としてまとめられたもの。元はフランス革命に遡るが、その間にも分裂などの変遷があったとか、他国との関係が変化するにつれてナショナリズムの形も変化してきたことが説明される。日本では、政治や経済の軸の対立よりも、外交・安全保障の軸の対立が強かったことや、最近は文化の軸も加わっていると整理されているのがわかりやすい。

絶対王政時代のフランスは、相次ぐ対外戦争や王侯貴族の贅沢により国家財政が破綻寸前となった。新たな大規模な課税に対して抵抗が生じたため、それに応じて三部会が招集された。三部会は全身分が一堂に会して国事を議決する国民議会へと変わり、憲法を制定、貴族・僧侶の特権を廃止、人権宣言を採択した。続いて、国王の拒否権を与えるかの是非と、国民議会を一院制にするか二院制にするかを審議した際、議長から見て右端に王党派が、左端に民主派が座った。1791年の憲法制定においては、中央派の中の左派である立憲派(のちのフイヤン派)が主導権を握り、議会の決定に対して国王は延期する権限だけが認められ、人々は自由になった。1792年の男子普通選挙によって誕生した国民公会でフイヤン派は勢力を失い、民主派であるジャコバン派ばかりとなったが、自由市場経済主義で金持ちの味方のジロンド派と、経済面の民主化を目指し中小企業や貧民が支持したモンターニュ派が対立した。やがてモンターニュ派が主導権を握り、共和制と男子普通選挙を明文化した1973年憲法を制定し、ジロンド派議員を処刑して恐怖政治を始めたが、リーダーであるロベスピエールは反撃を受けて失脚した。モンターニュ派が倒された後の議会はジロンド派の生き残りと平原派が支配し、制限選挙と二院制を採用した憲法を制定した。

フランス革命後、立憲主義=自由主義、民主主義、社会的民主主義のプロセスが世界中で実現したため、人類はそうしたプロセスをたどる必然性があると考える進歩史観が広がった(コンドルセ、サン・シモン、コント、スペンサー、ヘーゲル、マルクス)。マルクスはブルジョワも市場原理の下で競争を強いられて資本のために酷使されると考え、土地や工場、資源などの生産手段を共有とし、皆が能力に応じて働く協同体の一員となることで真の自由が得られると考えた(「共産党宣言」「ゴーダ綱領批判」)。

ジャン・ドフラーヌは、左翼を3つに分類している(「フランスの左翼」)
・自由左翼:立憲王政支持から民主共和国派まで。フイヤン派、ジロンド派、戦後のミッテラン社会党。日本の社民党、民主党左派、朝日新聞・岩波書店系ジャーナリスト。
・権力左翼:平等のため独裁と権力政治を布く。モンターニュ派、旧ソ連、戦後のフランス共産党。日本共産党。
・抵抗左翼:集会や暴動などの直接行動を起こす。過激派、バブーフ、戦後のアナーキスト、トロツキスト、毛沢東派。

19世紀末になると自由と平等の国民国家は確固たる体制となったため、問題は国内の格差不平等へと移り、ブルジョワジーとプロレタリアートの階級対立となった。マルクスとエンゲルスの「労働者階級に祖国はない」「団結せよ」のスローガンの下に、左派がインターナショナリズムを担うようになった。一方、右派は、王家への忠誠を補強するために、民族や伝統、歴史、宗教を軸とした国家を忠誠の対象とし、国家主義、民族主義を代表するようになった。その頃、ブルジョワジーたちは、世界を舞台に事業を拡大し、自国の政府を動かしてアジア・アフリカの植民地化していく帝国主義の時代が到来し、他国を敵にしたナショナリズムが高揚する背景となった。

レーニンは、先進国の労働者から植民地のプロレタリアートまでの圧倒的な多数派が権力を握れば、世界革命が起こるだろうと考えた。実際、旧ソ連や中国は、アジア・アフリカの植民地解放闘争を支援し、独立を勝ち取った国々には軍事的、経済的、技術的な援助をもたらし、その見返りとして東側共産主義陣営に組み入れた。一方、この現実に気づき、民族独立と近代的国民国家建設に目標を限定した指導者たちは、軍部と組んで開発独裁を進め、アメリカを中心とする資本主義陣営に組み入れられ、一族の私腹を肥やしてばかりいる国も多かった。

政治学者の田中愛治は、政治と経済の2つの統制の強さの軸を用いて座標を描いたモデルを用いる。日本では、小泉政権を例外として弱い経済統制を求める方向はほとんど見られず、政治軸も政権交代可能な議会制民主主義で一致していた。
政治強・経済強:一党独裁社会主義
政治弱・経済強:欧州の労働党や社民党、アメリカの民主党、日本の民主党左派などの社会民主主義
政治強・経済弱:アメリカ共和党、日本の自民党守旧派などの伝統的保守
政治弱・経済弱:リバタリアン。小泉改革の方向性

これに加えて、最近は文化的な統制(宗教、価値観、道徳観、性別)の強弱の軸が無視できなくなっている。さらに、日本では外交・安全保障の軸の対立が他の3つを凌ぐほど強かった。外交では日米同盟中心と中立またはアジア重視、軍事では米軍駐留と非武装と軍事的自立が鼎立した。
日米同盟・米軍駐留:吉田ドクトリン
日米同盟・軍事的自立:芦田均、岸信介
中立・非武装:旧社会党
中立・軍事的自立:日本共産党

右翼と左翼右翼と左翼
浅羽 通明 / 幻冬舎 (2006-11-01)
タグ:政治
2017年09月24日

『南海トラフ地震』山岡耕春 岩波新書

南海トラフ地震のメカニズム、今後の発生確率の根拠、誘発される断層型地震、被害想定が丁寧にまとめられていて読みやすい。

南海トラフ沿いの深さ40km以上の場所は温度が300℃以上で、ずれの速さが大きくなっても摩擦力が小さくならないため、境界面は常に一定の速度でずれ動いている。地震を発生させる温度の低い場所と常に動いている場所との間は両者の中間的な性質のため、プレート境界のスロースリップに伴う深部低周波地震が半年に1回の頻度で起きている。スロースリップは、その場所のひずみを解消するが、浅い側の巨大地震発生域にひずみを増大させる。

浜名湖付近と豊後水道付近、紀伊水道付近では、プレート境界面が地震を起こすことなくゆっくりとずれ動くスロースリップが起きる。スロースリップが発生することによって、周囲のひずみは大きくなる。

フィリピン海プレートは、紀伊半島の下では周囲に比べて深い角度で沈んでおり、プレート表面の摩擦力が強くずれにくい。潮岬を超えて地震が連動しにくいため、東は東海地震と東南海地震、西は南海地震と呼ばれている。

南海トラフの地震は、繰り返し間隔が一定とする固有地震モデルの方が、地震発生頻度を一定とするポワソンモデルより当てはまるという研究結果がある。固有地震モデルを用いた今後30年間の地震発生確率は3%になるが、信頼性の高い宝永地震以降のデータを用いると25%となる。さらに、安政地震から昭和の地震まで90年と短いため、地震の規模とその次の地震までの間隔が比例する時間予測モデルを用いると、今後30年間の地震発生確率は70%となり、防災上の観点からこの確率が発表されている。

地震は、発生頻度の対数がマグニチュードに比例して減少するグーテンベルグ・リヒター(GR)則というべき乗則に従い、マグニチュードが1増えると発生頻度は10分の1になる。この法則は固有地震モデルと相容れず、最大規模の地震は特別であるという考え方をとり入れなければならないが、議論は分かれている。

過去の南海トラフ地震が発生する前の数十年間は特に近畿地方の地震が活発化し、南海トラフ地震が発生した後の10年程度は西日本内陸の地震活動が活発化している。プレートの沈み込みが進行するにしたがって、西日本の内陸にかかる力が増加するために発生しやすくなる断層と、巨大地震が発生した後にプレートを押していた力が抜けるために、活断層の割れ目を閉じる力が減ってずれやすくなる断層があると考えられる。

津波による浸水の高さが30cmになると、人は倒れて流される。2mになると木造住宅が浮力で浮き上がり流される。被害を受けたライフラインのうち、電力は1週間でほとんどが回復するが、上水道や都市ガスは1週間後も6〜7割が復旧せず、95%復旧するまでに1か月から2か月かかる。LPガスの復旧時間は短い。携帯電話は、地震直後には8割程度の接続が可能。1〜2日後には基地局の非常用電源が停止するため、8割程度が利用不能になるが、1週間程度で9割以上の基地局が復旧する。

巨大地震の前後には内陸の地震活動が活発化するとの研究結果は、地震の活動期の有無があると解釈でき、巽氏の見解とは異なるのかもしれない。プレートを押す力が増したり、抜けたりすることによって発生頻度が増えるとの説明の方に説得力があるように思う。

南海トラフ地震南海トラフ地震
山岡 耕春 / 岩波書店 (2016-01-21)
タグ:地学